主日礼拝

日曜日 AM10:00~AM11:45

『 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。』(ヨハネの福音書4章23~24節)

賛美、祈り、バイブルメッセージ、聖餐式のシンプルな礼拝です。

どなたでも参加自由・無料です。(※フィリピンの方への同時通訳もあります。)


こちらで公開もしています。

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このような礼拝をささげたいのです。

  1. 上手ではなくても、感激と喜びの賛美をささげたいのです。
  2. たどたどしく、また前後の文脈が合わなくても、主の御前で頭も上げられずに胸を打った取税人や遊女の祈りがある礼拝をささげたいのです。
  3. 美しい壁画や生け花もなく、馬小屋のような匂いがし、椅子が壊れて座るところがなくても、全てを感謝すると告白する、謙遜な人々の礼拝をささげたいのです。
  4. 驕慢な人の虚栄心を楽しませるだけの、人の知識と技巧をこらした説教ではなく、いのちをかけて主の御前に出て、聖なるみことばを肝に銘じ胸に刻み、涙をもって叫んだ昔の預言者たちの声を聞きたいです。
  5. 高慢な心の飾り物であるかのような献金の代わりに、心からささげたやめものレプタ銅貨二つのような礼拝をささげたいのです。
  6. 自分の宗教的な義に酔って、主を疎外するパリサイ人の供え物ではなく、霊とまことでささげる聖なる供え物をささげたいのです。
  7. 説教の時間が10分でも長くなると、退屈になる礼拝ではなく、主のみことばに全ての人格が魅了され、主の足元を離れなかったマリヤのような礼拝をささげたいのです。
  8. 主の栄光が現れ、人間の汚れを溶かし、主により新たに生まれ変わる礼拝をささげたいのです。
  9. 私たち同士がお互いに手を打っている瞬間にも、外で涙を流しながら立っておられるイエスの御前に出て、主の涙の御前にひざまずく、そのような礼拝をささげたいのです。
  10. 祝祷が終わった途端、いち早く逃げるように去ってしまうコンサートのような礼拝ではなく、礼拝が終わってしまったことが惜しく席を立つことが出来ないまま、主の御前に立ちつくすヨシュアのような礼拝をささげたいのです。

『礼拝革命 生きる神と出会うために』(趙建會著)より

礼拝の心構え(礼拝のようで礼拝であらざるもの)