真の罪認識と罪告白は、主観ではありません。自己という円周の外に連れ出された人間が、初めておのれみずからを客観的に知り、告白する言葉こそ、真の自己認識であり、真の罪告白なのです。私という人間を、私の外に連れ出して、神様がごらんなさるように、「自分」というものを見させて下さるのは、イエス様です。それはちょうど、天国への峠に立って、故郷を見下ろすようなものです。私達は、現実のみにくさや、悲しさの中に生きながら、イエスさまが供にいて下さるので、真実の告白を失わず、しかも、いつでも峠に立って憩い、おのれみずからへの、冷静な評価と勧告を、失うことがないのです。
私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
〔ローマ7章18節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕