天国とは、洗礼を受けているからとか、これだけの事をしてきたからとかいって、大手を振って入れる所ではないと思います。天国の清い光の前で、もう一度おのれの罪と醜さが、分かるのではないでしょうか。そして、罪を赦された者の、へりくだった感謝の姿勢こそ、御国の民にふさわしい姿なのではないでしょうか。そこに至るまでの道程において、何がなされようと、何が成し遂げられようと、問題ではありません。資格も業績も、一切が消えて、一人の人間として立つのです。そして、十字架の贖いと、罪の赦しと言う事が、どんなに偉大なことかと言う事が、もう一度分かるのです。
主に感謝せよ、主は恵み深く、その慈しみはとこしえに絶えることがない。〔詩篇136編1〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕