平成29年7月23日週報より

私は役員をしていた頃、牧師に不満を持ち続けました。心の中にはいつも、牧師に対する批判がありました。後になって気づいたことは、不満と批判は、傲慢であったと言う事です。欠け多き牧師の下で、耐えておられる信徒の方たちには、まことに気の毒な言葉ですが、傲慢な魂には、祝福がないということです。これは、私の体験から申し上げているのです。何を神の祝福と言うのでしょう。それは、感謝に溢れた生活の事です。どうしたら、感謝に溢れた生活が送れるでしょう。主のご臨在を発見すること以外にありません。主の臨在の感謝に溢れる魂は、おのれの罪を知る謙遜な魂なのです。

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。、、、また、感謝の心をもつ人になりなさい。〔コロサイ3章15節〕

〔金田福一著 霊想の糧より〕