信仰が、恵と祝福に変えられた一瞬を経験した神の子たちは、「押しつけ、揺すりいれ、」と言う言葉を、自分の実感として、理解したはずです。それは、物ではなく、神の恵みなのです。ところで、話の下手な人があります。いくら批判されても、上手になれるものではありません。しかし、真の説教は、神学でも、研究でも、話術でもないはずです。どんなに話の下手な人でも、その伝道が、恵に変えられる一瞬があるはずです。それは真に、自分の罪を悔い改め、罪の赦しに感動する時です。自分の罪と醜さになき、罪の赦しの感動を根底とした証言のみが、キリストを語ることができるはずです。上手下手の問題ではありません。
人々は量りをよくして、押しつけ、揺すりいれ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。〔ルカ4章38節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕