それはまず、キリスとのご臨在の、聖なる恐れから始まります。突然、漁師ペテロのように、自分を罪深い人間と悟ります。キリスト者以前のことではありません。救われていたはずのキリスト者がです。信徒だけの事ではありません。毎週説教している伝道者がです。聖なる臨在のまえに、自分の罪に気づくと言う事は、それほど深く力強いことなのです。そこに、回心と新生が起こります。「義とみとめられた」と悟る罪からの解放が起こります。「救われた」と悟る暗黒からの救出があり、「主よ、感謝します」と叫ぶ賛美と平安の奔流が始まるのです。主よ、いつですか。こんなにも待ち望んでいる子らに。
教会全体と、このことを聞いた全ての人達とに、非常な恐れが生じた。 ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。 使徒五章11節
〔金田福一著 霊想の糧より〕