平成30年11月11日週報より

罪意識を阻害するものは傲慢です。義理をはたし、恩を返し、人に迷惑をかけぬことは、健全な社会人の
条件ですが、実は傲慢にすぎません。義理も果たせなくなり、恩はうけるばかり、生きていることが人の迷惑になっても、生きさせていただくためには、謙遜にならざるを得ません。そのみじめさを拒否するならば、一家心中より他ありません。そのどん底で、ようやく、自分の罪に気づくでしょう。しかし、不幸意識は罪意識ではありません。不幸な状況を脱すれば消えるような罪意識は、真の罪意識ではありません。罪とは、健全な社会人の、その能力と自信の中にひそんでいる傲慢に他ならないのです。

 彼は礼をして言った。「このしもべが何者だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧てくださるのですか」〔第Ⅱサムエル9章8節〕

〔金田福一著 霊想の糧より〕