令和元年9月22日週報より

 キリストのお救いにあずかって、神の子としての身分を与えられ、その確信に生きるようにならないならば、すべてが「神さまのもの」であるということは、納得できるものではありません。生きていることも、肉体も、健康も、才能も、家族も、財産も、すべて、その所有者は、神様なのです。救われた神の子たちは、本来神様のものであるそれらのものを、神さまが、そのみこころでお取り上げになるときに、感謝して、お返しすることができるのです。「不幸」と叫ぶ人間の声は、実は、「神様のもの」であるはずのものを取りあげられる際の、人間の、狼狽の叫びにすぎないのです。

 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには5タラント、ひとりには2タラント、もうひとりには1タラントを渡し、それから旅にでかけた。〔マタイ25章15節〕

〔金田福一著 霊想の糧より〕