間違っていることに対してルーズでない人間は、間違ったことをしている人に対して、冷たい厳しさを感じさせることがあります。反対に、間違っていることに対してルーズな人間は、間違ったことをしている人に、暖かい印象を与えるものです。キリスト者が、時として人に与える冷たい印象は、間違ったことに対してルーズでないからです。みずからの持つ冷たさと、キリスト者は、生涯かけて戦わなければなりません。ルーズにならないということは、しばしばキリスト者をよそ者にしかねません。冷たさを捨てて異教的風土の中に土着しようとしますと、失ってはならぬ神への節度を失うことがあるのです。
不信者と、つりあわぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつつながりがあるでしょう。〔Ⅱコリント6章14節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕