「私は、神の力の働きにより、福音に仕える者とされました」と、パウロは言いました。牧師が、福音を伝える者であるとするならば、彼が伝道者であることを決定するものは、神学でも、学歴でもありません。准允でも、按手礼でもありません。聖霊の充満と、神の力の確信を体得させない按手礼なら、儀式にすぎません。人間の力と知恵しか知らない伝道者を、世に送り出す神学校、責任は大きいと思います。神の力に生かされる確信を得るまで、祈らせる場所こそ、神学校ではありませんか。伝道者を決定するものは、罪の赦しの確信と、生けるキリストの力に生かされていると言う事です。
あなた方は、いと高きところから、力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。
〔ルカ福音書24章49節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕