「罪が説かれていない」と言うお便りが、アメリカからも寄せられています。人間の罪が、真に説かれていないということは、今日のキリスト教が、福音の深さをうしなっているからではないでしょうか。イエス様がお受けになった十字架の痛みとお苦しみとが、理解されていないのではないでしょうか。人間の罪深さが語られることなく、浅く、うわっつらを流れているだけではないでしょうか。入信への、感情的な扇動によって、罪は浅く、片付けられてしまっているのではないでしょうか。真に、人間の罪が自覚され、赦しが体験されることなしに、人間を、その悲惨と不幸とから、解放する方法はないのです。
「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、一人は左に。 〔ルカ23章33節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕