平成31年2月3日週報より

失業に向かって、あるいは、無収入の生活に向かって踏み出そうとする時、「主を信じる」と言う事が、もう一度試みられます。そして「信じる」と言う事は、全く強さでないと言う事に驚くのです。明日の私たちをお招きくださるお方は、「明日のための心配は無用」といわれたイエス様です。少しの心配もなく、少しのリキミもなく、むしろ、心ひそかな興味と希望とをもって、無造作に、明日を迎えるだけです。そして、信じる者を飢えしめたもうことのない、主の愛に、感動するはずです。私達の生活は、共に居て下さるイエス様の、お力の中での明け暮れにすぎないのです。

 自分の命の事で、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、体のことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。   マタイ6章25節

〔金田福一著 霊想の糧より〕