全てのキリスト者が、「イエス様に会った」と言う体験を持たなければなりません。キリストの、愛の力の中に入れられていると、自覚する事です。知識だけの信仰では、あかしにも、伝道にもなりません。「イエス様に会う」と言う事は、聖書の中の御言葉が、心に語りかけられることです。その時、臨在のキリストが、確信となるのです。「イエス様に会った」と告白する事を、恐れてはいけません。「危険だ」と言う声や、誤解や、中傷をも、恐れる必要はありません。幻聴でも、幻覚でもないのです。その証拠に、人間と生活の変革があるのです。それが、事実だからです。
私は私たちの主イエスを見たのではないのでしょうか。 第一コリント9章1節
〔金田福一著 霊想の糧より〕