令和元年6月30日週報より

信仰生活とは、「主に伴われていく前進」です。キリスト者にとっての「前向き」とは、「主を仰ぎ見る」事に他なりません。そして、「感謝」こそ、前進の姿勢です。「感謝」を失った時は、主に従うことをためらって、後を振り返って回顧しているか、落伍しているか、道草を食っているかです。感謝の前進をやめるならば、てきめんに、その魂は荒廃します。その心だけでなく、生活ぶりや、顔つきまで、荒廃するでしょう。感謝は、主に従う者の、吐く息、吸う息であり、その足音なのです。寝たきりの病者も、主の御手の上に乗せられて、感謝の行進に加えられているのです。

「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い」彼らは主の恵みと、人の子らへの奇しい技を主に感謝せよ。〔詩篇107編1、8節〕

 

〔金田福一著 霊想の糧より〕