創世記 序論No.2(創造論vs進化論)

 『進化論 対 創造論』というのは、『科学 対 宗教』という構図ではなくて、実は『宗教 対 宗教』です。どちらの宗教が信じるに値するのか。人生を懸けるに値するのか。そこが論点になるべきであります。進化論を科学ではなくて宗教と言い切ったのは、実際に進化論というものが科学的な根拠のないただの仮説に過ぎないということも、大抵の方は聞いていると思いますけれども、その辺も少しだけ今日触れたいと思います。それを知ると皆さんも目が開かれると思います。進化論というのが科学であって、創造論というのが宗教である。勿論創造論も科学的なアプローチで現代の現象、物理法則をこの創世記を元に理解すれば非常に分かりやすくて、いろんな疑問が解けるという事も確かに言えるんです。近代科学の始祖たち、彼らはみな創造論者であって、聖書を真面目に信じる者たちで、聖書を研究した結果、彼らの築いた仮説なり論理なり、実証した実験結果というものが今日の科学の源流となっているわけです。ですから、アイザック・ニュートンをはじめ、みな近代科学の父と呼ばれている人たちは、聖書を真面目に研究して、そしてそこからいろいろな科学的な可能性というものを、仮説というものを引き出して、そして実験の結果それぞれが実証されてきて、今日の科学の基礎を築いてきたということであります。
(メッセージから抜粋)

創世記 序論 №2