平成30年4月15日週報より

キリスト者は、おのれのなせるわざについては、いつも、鋭敏な反省と悔い改めをなすべきです。それが、きびしい自己弾劾となって現されるのです。しかし、その反面に、堂々たる天の静けさをもって生きていくのです。その静けさは、キリストによって罪を赦された者の、良心の平安に他なりません。その静けさの故に、誤解されても、非難されても、中傷されても、決して心を動揺させません。まして、己のために、弁護や弁解の顔をあげるような、むなしい技を慎むようになります。パウロの時代から今日に至るまで、それが、教会とキリスト者の現実であるということです。

また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと、それは、彼らにとっては滅びのしるしであり。。。〔ピリピ1章28節〕

〔金田福一著 霊想の糧より〕