平成30年10月21日週報より

私達のために、十字架にかかって下さったキリストを信じる信仰によって、神の御前に、全ての罪が赦され、義なる者と認められていると言う事は、福音の根本であり、信仰生活の大前提です。私達キリスト者は、ここに立っているのです。「義と認められた」と言う確信こそすべての人を罪から解放し、不断の大安心を与えるのです。私達の信仰生活は、ここから出発し、また、日々に、ここに立ち返るのです。しかし、「義認の確信」が、もしも、「臨在の確信」を欠くとしたら、その信仰は危険です。十字架にかかって下さったキリストは、現在、いつも、私達のそばにいて下さるお方であるからです。

人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私達の考えです。〔ローマ3章28節〕

〔金田福一著 霊想の糧より〕