キリストを信じて生きると言う事は、常識の判断と不信仰に、絶えず後戻りしょうとする自分に気づき、悔い改めながら、再びキリストにゆだねることです。キリスト者とは、常識と不信の世界に生きる人ではなく、信仰と奇跡の世界に生きる人です。私達はしばしば、信仰という名の自己義認を振りかざして、他と争うことがありますが、そこには、キリストの栄光と奇跡とはみられません。むしろ、敗北と屈辱と悔い改めと、涙の底に、キリストの臨在の栄光と奇跡は表されるのです。不信と混乱の現実に、もう一度、愛と平和を復活させるものは、人間の常識ではなく、聖霊の奇跡なのです。
使徒としてのしるしは、忍耐を尽くしてあなたがたの間でなされた、あの奇跡と不思議と力あるわざです。〔第二コリント12章12節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕