私達は、先入観と固定観念で友を見ることがあります。一度、不快感や嫌悪感をもったら、これを正しい批判と思いこんで、決して変えようとはいたしません。私達の友を見る眼が誤るのは、かたくなに自己義認の上に立って、おのれの罪には気がつかないからなのです。もし己の罪にきずくならば、友を見る眼も変わってくるはずです。先入観に固執しないで、友が変えられることを信ずることほど、深き友情はないはずです。主のものとされた神の子達は、おのれが砕かれ、変えられたように、友に対しても、先入観による冷たい批判を、持ち続けることをしなくなるからです。
しかし、もし神が光の中におられるように、私達も光の中を歩んでいるなら、私達は互いに交わりを保ち、、、、、、 〔第一ヨハネ1章7節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕