「主のため、主のもの」と言う言葉は、キリスト者の人生と存在を決定する言葉です。そして、この言葉の底には、「主が私のために死んでくださった」と言う事実が横たわっています。生きていることも、学校へ行く事も、職業も、「主のため」です。命も、健康も、家族も、財産も、「主のもの」です。「主のもの」である私たちにとって生起する一切の出来事が、「主のため」です。事故にあうことも、病気をすることも、家族が死ぬることも、「主のため」です。神の御旨でないことは、何一つとしてありません。事故や、病気や、死もまた、主の御旨でありますから、喜んで、御用を果たすのです。
もし、生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私達は主のものです。
〔ヨハネ21章19節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕