礼拝を守ったことも無く、聖書だけを読んで、処女降誕が信じられない、復活が信じられないという人がよくあります。無理の無い事です。礼拝と言う雰囲気の助けを借りなければ、聖書は分からないとか、信じられないとか言いますと、又抵抗を感じられるでしょう。ただ、キリストの救いの中に入るには門があると言う事です。批評のプラカードを掲げていると、その門から入れないのです。自分の罪と醜さに、悩みと苦しみを抱いて、キリストに接近する人は、その姿勢が低く小さいので、その門から入って、キリストの救いにあずかることが出来るのです。その門は、狭い門だからです。
狭い門から入りなさい 〔マタイ7章13節〕
わたしは門です……わたしを通って入るなら、救われます。
〔ヨハネ10章9節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕