キリスト教倫理は福音の上に立っています。福音の上に立たないならば、独り立ちは出来ません。倫理がなくとも、福音は福音です。必ずしも倫理を必要といたしません。また、絶望と賛美に導かないようなキリスト教倫理は、自力に過ぎません。倫理も福音に奉仕すべきです。私の文章に対して、「なかなか出来ない」というお便りをよくいただきます。「なかなかできない」という世界は、自力の世界に過ぎま「させてくださる」と信ずべきです。いくらいやらしく見えようとも、絶望を受け入れなければ、福音の世界はひらけてまいりません。
「できるものなら、というのか。信じるものには、どんなことでもできるのです」。…「信じます。不信仰な私をお助けください」〔マルコ福音書9章23~24節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕