私達は、神様の前に、深く自分に絶望します。それは、自分をよう捨てないし、自分を十字架にようつけないからです。自分を捨てるとか、十字架を負うとかいうことは、自己との格闘のようですが、実はそれは、自分よりも、隣人を愛せよと言う事なのです。隣人を愛そうとしない自分を捨てよ、自分を十字架につけよと言う事なのです。だから私達は絶望しました。しかし主は、絶望したままの私たちの、心の中に入ってくださいます。その時から、自分を愛すると言う執念の深さが、隣人への愛の執念の深さに、変えられていくのです。イエス様は、それをしようとしていなさるのです。
誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい。〔マルコ福音8書34節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕