しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。コリント人への手紙 第1 1章23節
週報ショートメッセージ
真の罪認識と罪告白は、主観ではありません。自己という円周の外に連れ出された人間が、初めておのれみずからを客観的に知り、告白する言葉こそ、真の...
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牧会書簡説教
牧会書簡の第1テモテの福音書の講解説教です。4章のテーマは「教会とそのミニスター」です。
私は、イエス様が何をして下さるかと言う事だけを、語ってまいりました。ところが、「それは律法主義だ」という批判を、多くの牧師から受けてきました...
キリストのお救いにあずかって、神の子としての身分を与えられ、その確信に生きるようにならないならば、すべてが「神さまのもの」であるということは...
神の子とされた人たちの体質の不思議さを思います。御国に入れられた者たちは、かくあらねばならぬと、規制されるのではありません。主イエスさまのお...
山上の垂訓の学び
マタイの福音書の5章の21節から見て参ります。山上の説教の続きです。
牧会書簡の第1テモテの福音書の講解説教です。3章のテーマも「教会とそのメンバー」です。 牧師、リーダーの資質、執事の資質についてパウロが記し...
「確かさ」は、私達の側の「信仰」にさえあるものではございません。考えてみれば、「信仰」というものほど、不確かなものはありません。こちら側のこ...
イエス様は貧しい者のことを、「気の毒だ」と言われないで、「幸いだ」と言われました。なぜでしょう。「貧しい」とは、お金がないとか、財産がないと...
聖書・信仰入門
水曜日のバイブルスタディーで分かち合いました。聖書が神の言葉であることを、様々な角度から検証しました。。 聖書とは 週報より「聖書とは」