しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。コリント人への手紙 第1 1章23節
聖書・信仰入門
それでは、今朝のテキストはマタイの福音書7章13~14節であります。短いですが、ここを軸に他の聖書の箇所も開いていきたいと思います。『13狭...
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週報ショートメッセージ
私達は、神様の前に、深く自分に絶望します。それは、自分をよう捨てないし、自分を十字架にようつけないからです。自分を捨てるとか、十字架を負うと...
山上の垂訓の学び
それでは、マタイの福音書6章、『主の祈り』の後です。14節から見て参ります。『もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してく...
イエス様は、自分への愛と、隣人への愛とを、仲良く共存させよといわれたのでしょうか。そうではないと思います。ほんとうに真剣に、純粋に、暖かく清...
私達の心の底にあるものはなんでしょう。自分自身への愛でしょうか、隣人への愛でしょうか。「心の底に横たわっているもの」それは、人間の本質とも言...
キリストの救いは、人間の真実の回復です。聖霊によるきよめの経験のすすめが、もしも、人間の真実を見失わせるものであるとしたら、私は、反対せざる...
自分には、罪やみにくさなどないかのように、取りつくろって生きることは、偽善であって、信仰ではありません。神の子達は、おのれのみにくい人間性を...
マタイの福音書の6章の5節から見て参ります。主の祈りについてイエスが話しておられます。また、祈る時の注意事項についてもイエスが詳しく語られて...
信仰が、恵と祝福に変えられた一瞬を経験した神の子たちは、「押しつけ、揺すりいれ、」と言う言葉を、自分の実感として、理解したはずです。それは、...
主が生きておいでになるということと、自分が救われているということが分かった日の夕食の時、私は横に一枚の座布団を置いて、「ここはイエス様の席だ...