しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。コリント人への手紙 第1 1章23節
週報ショートメッセージ
礼拝で、喘息で苦しんだ父の晩年のことを語りましたが、その翌晩から私も、喘息の発作に苦しむようになりました。突然、呼吸が困難になり、高い音を立...
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キリストが、「なにをして下さったか」という、過去のことについては、いくぶんか、信じられていると思いますが、今も「なにをして下さるか」という、...
私は、ある日、イエス様から、命を与えられていると、教えられました。この日に与えられた確信によって、私の意識が変えられただけでなく、家庭生活の...
真の謙遜は、罪の自覚から生まれます。罪の自覚の上に立たない謙遜は、偽善か自己満足にすぎません。罪の自覚のない者には、キリストの十字架の意義は...
救われるということの大切さは、すくわれてみて初めて分かることです。たとえ礼拝を守っていても、イエス様との間に距離を置いているならば、救われて...
私たちの罪が、神の御怒りをうけねばならない事を、私たちは、どれだけ真剣に考えた事があるでしょうか。その神の御怒りを身に受けて、主イエスキリス...
山上の垂訓の学び
マタイ7章のこの山上の説教の最終結論の部分です。「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べら...
早速15節を見て頂くとその羊の皮を被った狼についてイエス・キリストが教えられております。『にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをし...
牧会書簡説教
パウロの絶筆になるものです。絶筆というのはパウロがその生涯において最期に書き記したもの。それを愛するわが子と呼ぶ後継者のテモテへ宛てたわけで...
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。 〔ガ...