しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。コリント人への手紙 第1 1章23節
週報ショートメッセージ
天国とは、洗礼を受けているからとか、これだけの事をしてきたからとかいって、大手を振って入れる所ではないと思います。天国の清い光の前で、もう一...
記事を読む
臨在の喜びを知る者だけが、この世の喜びから解放されるのです。主がいつでも、私と共に居て下さることだけが、喜びなのです。キリスト者には、この喜...
主が今もどこかで、祈っておられると言う事を、私達はあまり真剣に、考えていないのではないでしょうか。核の保有を競う国々の現状を憂い、神の御怒り...
自分の執った行動が、間違っていたと悟った時は、素直に悔い改め、反省することはいいことですが、「あの時に、ああすればよかった」と悔やむ事は、信...
祈るとき、自分の考えや希望を、イエス様に押し付けてはいけません。自分の願いどおりにならないからと言って、「祈りがきかれない」と言ってはいけま...
人は何の為に生きるのでしょう。他に仕えるためです。他を思いやるためです。そのように生きようとしないことを罪と言い、自我と言います。キリストの...
キリスト者は、おのれのなせるわざについては、いつも、鋭敏な反省と悔い改めをなすべきです。それが、きびしい自己弾劾となって現されるのです。しか...
牧会書簡説教
それでは第二テモテの3章の続きを見て参ります。前回は1節、そして2節の丁度頭の“自分を愛する者”というところで終わったわけですけれども、改め...
聖書・信仰入門
一般的にはイエス・キリストはキリスト教の開祖、宗教家、道徳の教師だとしか見られておりませんが、でも本当のイエスの姿は、ただの宗教家ではありま...
豊橋二川福音教会のホームページにも掲載していますが、この『ローマ書の道』というのは、ローマ書の中にあらわれる聖句を追っていくことで、人間個人...