キリストの救いは、人間の真実の回復です。聖霊によるきよめの経験のすすめが、もしも、人間の真実を見失わせるものであるとしたら、私は、反対せざるを得ません。「きよめられたか、否か」と言う事について、人間が人間を、評価すべきではありません。評価なさるものは、神様です。きよめの経験によって、罪を自覚しなくなった人も、神様がご覧になれば、罪びとにすぎないはずです。「罪がない」と言うことは罪です。反対に、おのれの罪と醜さを鋭敏に自覚し、告白する人も、神様は、「よしよし」と言われるかもわかりません。罪を自覚しないと言う事は、罪がないと言うことでないのです。
もし、罪はないと言うなら、私達は自分を欺いており、真理はわたしたちのうちにはありません。〔第一ヨハネ1章8節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕