平成29年12月10日週報より

私もまた、聖霊によるきよめの経験を与えられた事があります。その時の解放と飛躍は、今日の恵みに及んでいます。しかし、現在の私は、自分の罪とみにくさを、毎日意識しております。その懺悔と、赦されていると言う感謝とは、私の内面性であると言えます。全く罪を意識することのない人もあるようですが、そういう人に比べて、私は本当に罪深い、みにくい人間なのだとおもいます。そして、私が意識せずに犯している罪は、意識する罪よりも、はるかに多いと思います、私はこのことをルターに学びましたが、自分の現実の告白として、語っているのです。私は罪人にすぎないということです。

幸いな事よ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いな事よ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。(詩篇32の1)