ヨハネの手紙第一3章

 

 クリスチャンのしるしは互いの間にある愛であります。クリスチャンのしるしは十字架のネックレスをぶら下げているのではありません。クリスチャンのしるしは魚のマークを、イクテゥースの魚のマークを車に貼っている、ステッカーを貼っている、そうではありません。クリスチャンのしるしは教会に通っているものでもないのです。クリスチャンのしるしは互いに愛し合う、その愛であります。そこに永遠の命があると、そこで永遠の命を本当に満喫出来るんだと、詩篇1331にもこう書いてあります。これはダビデの詩で『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。』兄弟たちが交わりを持つ、姉妹たちが交わりを持つことは、もう最高の喜び、幸せだと。3のところに『主がそこに(兄弟たちが一つになっている、姉妹たちが一つになっている、そこに)とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。』とこしえのいのち、言い換えれば永遠の命の祝福がそこに必ず味わえるのだと。クリスチャン同士が互いに愛し合えば、永遠の命が満喫されます。クリスチャン同士愛しあっていない者に、永遠の命は分かりません。味わえないのです。本当の喜びはありません。命はないです。クリスチャンを愛さない者は、ゾンビのような存在です。生ける屍です。生きているようでも死んでいるようです。冷たいです。(メッセージより抜粋)

Ⅰヨハネ3章