人は何の為に生きるのでしょう。他に仕えるためです。他を思いやるためです。そのように生きようとしないことを罪と言い、自我と言います。キリストのお救いによって、人格が救われるとき、罪が砕かれ、自我が清められて、他のために生きて行く人にと変えられるのです。このことは、信仰の根本であるだけでなく、教育の根本であると言えます。自分のことしか考えないで自分のためだけに生きようとする者たちが満ちる時、家庭が壊れ、教育が壊れ、社会が壊れていくでしょう。自我のためにだけ生きようとする事は、実は、自分の存在の価値を、自分で放棄することにすぎないのです。
人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、、、、、自分の命を与えるためなのです。 マルコ10章45節
〔金田福一著 霊想の糧より〕