今、日本の教会は揺れております。『教会のカルト化』といった言葉が頻繁に聞かれるようになりました。そのようなカルト化した教会が、昨今非常に問題となっております。また、そのような教会で傷ついて教会へ行くことをやめてしまったクリスチャンの方もいると思います。しかし、この民数記を通して私たちは、教会の必要性、必然性というものを通して、たとえどんな理由があるにせよ私たちは必ずどこかの教会に属すべきであることを教えられます。「でも、どうやったらそのような自分が繋がるべき教会を見つけることが出来るのだろうか。教会に繋がるのであれば、教会のメンバーに、会員になるならば、私は健全な、健康な教会に行きたい。そういうところの教会員になりたい。どうやったらその教会が聖書的で、その教会の牧師の教えていることが正しいのか。そこが正当なキリスト教会なのか。私には分かりません。どうやって見分けたらいいんでしょうか。何か見分ける基準だとか、方法だとか、そのような判断基準、ものさしといったものはないんでしょうかと。」それに対する答えが、今日のテキストの民数記17章であります。民数記17章1~11
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