平成29年10月15日週報より

真実に福音が語られる教会を探してさまようのは、信仰の初歩の段階です。それが、真実な福音の探求なのか、自分を喜ばせる説教者を求める自我にすぎないのかということは、あなたには分かりません。主がお求めになる信仰の最高の段階は、謙虚な教会への奉仕にあります。「福音を語りえない牧師にも」と判断する、みずからのその判断の傲慢さに身悶えしながら、あなたは、その牧師と教会に謙虚に仕えるでしょう。明日のことを考えないで、その日その日、謙虚に仕えていくならば、「この暗さがいつまで」と嘆くこともないでしょう。どうしてそれが出来ますか。主がともに居て下さるからです。

私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、又ユダヤ人の陰謀によりわがみにふりかかる数々の試練の中で、主につかえました。〔使徒20章19節〕

〔金田福一著 霊想の糧より〕