平成30年6月17日週報より

肉体を持った現実の人間で、湖のうえを歩いたお方は、イエス様一人です。私達は、世間を意識して、その事を恐れて、そっと触れないようにしていると思います。しかし、人間の可能性の常識的な判断の範囲内に、イエス様を限定しようとするのなら、それは、信仰でも何でもないと思います。信仰と呼ぶ自分の精神で、自分を変えようとしているだけです。救われると言う事は、自分で自分を変えようとする事ではありません。キリストのお力が人間を救うことなのです。湖の上を歩くことが可能であったればこそ、私を救う事が出来、又私のそばに臨在なさることができ、これを信じさせることがお出来になるのです。

すると、夜中の三時頃、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた
                                〔マタイ14章25節〕

〔金田福一著 霊想の糧より〕