ガラテヤ3 章19~29節

アブラハム契約、それはアブラハムと神との直接契約でありました。そこには仲介者などおりません。そしてアブラハム契約には、その子孫、ひとりの子孫イエス・キリストも含まれているということです。その約束と呼ばれるものは、後に430年後にモーセを通して与えられる律法よりもはるかに優っているということを、今ずっとその流れを見ているわけです。もし私たちの歩みが、生き方が単純に神の言われたこと、若しくは成されたこと、つまり神様の約束に基づくもので、それを私たちが信じるだけで救われ、神のありとあらゆる約束の祝福に与ることが出来るとするならば、そもそも律法なんて必要ないじゃないですかと。何のために律法がわざわざ後から430年後に与えられる必要があったのでしょうか。その律法の目的とは一体何なんですか、という疑問が自然に必然的に湧いてくるものであります。そのことについて学びます。
(メッセージより抜粋)

ガラテヤ3章19~29