3章4章はパウロの教理的恵みの教えということです。ここではパウロの懸念というもの、危惧というものが表明されています。パウロが心配していたこと、懸念していたこと、危惧していたことです。それはパウロがガラテヤ地方で宣べ伝えたイエス・キリストの単純な福音を複雑な福音に変えてしまおうとする輩(やから)が現れて、そのガラテヤのクリスチャンたちをたぶらかしている。すっかり迷わされ、そして騙され惑わされている人たちのことをパウロは懸念して、危惧して、この3章を書いております。「救われるためにはイエス・キリストを信じるだけでは足りない。不十分である。」と、この異端教師たちは説くわけであります。「割礼を受けなければ救われない。霊的クリスチャンになれない。神からの祝福を受けることが出来ない。」と、そのように説く異端教師たちのことをパウロは“割礼派の人々”とか“かき乱す者たち”、“偽兄弟”と呼んでおります。
(メッセージより抜粋)