「聖霊によるきよめの経験」には、私は疑問を持ちますが、全てのキリスト者が、「聖霊経験」をお持ちになるように、おすすめいたします。信仰生活に、もしも「聖霊経験」がないとしたら、その信仰は、頭だけのことになり、その生活からは、生けるキリストの介入を、拒否することになるからです。生けるキリストの臨在が分かることも、聖霊経験ではありませんか。おのれの罪とみにくさに、愕然として気づくことも、聖霊経験ではありませんか。罪を赦された喜びを与えられることも、聖霊経験ではありませんか。自己是認の肉的な生活から、キリストに服従させられることも、聖霊経験ではありませんか。
私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。〔ガラテヤ5章16節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕