平成31年3月3日週報より

本当に神の言葉を、主がお語り下さるのなら、たくさんはいらないはずです。しかし、たくさんの「言葉」を聞き、集会というセレモニーで自己満足する、そう言う事を何年続けたところで、何事も起こらないでしょう。悔い改めもなければ新生もないでしょう。本当に主のみことばを聞きたいという切なる呻きと、求めと、飢え渇きが起こらなければだめです。聖霊なしですませているようなことは、もうやめましょう。聖霊の働きのない特伝を、何十回繰り返したとて、それが何になるでしょう。イエス様はきょうも、火を投じたいと、願っておられるのではないでしょうか。

「そのうち主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル。」と呼ばれた。サムエルは、「お話ください。しもべは聞いております。」と申し上げた。        Ⅰサムエル3:10

〔金田福一著 霊想の糧より〕