この箇所はイエスが四千人の人に給食の奇跡を行った箇所です。ここで皆さんに考えて頂きたい事は、イエスがなされた驚くべき神の御業、奇跡です。それを誰も求めていないんです。イエスに誰も求めていない。イエスに誰も願っても、祈ってもいない。そしてイエスがその様な御業をなさるということも誰も信じていないわけです。にもかかわらず、誰も願わない、誰も求めない、誰も祈らない、誰も信じないのに、それでもイエスは神の働きをなさったわけです。それでもイエスは人々の必要に応えられたのであります。なぜか、というところも考えて頂きたいと思います。
関連記事
マタイの福音書6章9~13節(主の祈り)
礼拝で朗誦している『主の祈り』。『主の祈り』は完全な祈りであり、簡潔な祈りでもあります。短いですけれど、すべての祈りの要素(エッセンス)が含...
聖書66巻の主題はイエス・キリストである。
イエス・キリストは新約聖書の人物だと思われている人が大半だと思います。しかし、実は旧約聖書のテーマもイエス・キリストであります。アウグスティ...
マタイの福音書5章1~12節(八福の教え)
もしあなたが幸せならば、今日このテキストを通してより一層その幸せを噛み締めて頂きたいと思いますが、「幸せでない」と思う方は、また「幸せになり...