ぶどう園で働く労務者のたとえ話です。このたとえ話を一読して皆さんはどのような思いを抱かれたでしょうか。どのような印象を受けられたでしょうか。もし「それは不公平だ。フェアじゃない。このような話は到底理解できない、理解に苦しむ、不可解である、まったく不可思議である。」そのように感じた人がいるならば、その人は結論から言いますと律法主義者であります。そう思った人は皆、律法主義者です。自分が頑張れば何でも出来ると思っている傲慢な不遜な人たちであります。でもその一方で、もしこのストーリーを読んで「あぁ、有り難いな。これを私だ。」と思った方がいるならば、その方は神の恵みというものを本当に理解している人であります。
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