日常の小さなことに、生かされている幸せを感じます。戸のしまらない、脱衣場のない、壁の落ちた五右衛門風呂にも、しみじみと感謝を覚えます。朝、書棚や電気の笠に、はたきをかけます。幸せだと思うのです。信仰の友から郵便の来ない日は、日曜日だけです。その日に書いた郵便は、翌朝出しに行きます。二キロのゆるい上がり坂を、自転車で行きます。幸せな日課です。途中で脈拍がひどく悪くなることがあります。青い顔で〔たぶん〕しかし、ニコニコしながら、道のかたわらで耐えます。「何時どこで召されても、ありがたいなあ」と思うのです。あすを思わない幸せな日が、今日も暮れて。
だから、明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分あります。〔マタイ福音書6章34節〕
〔金田福一著 霊想の糧より〕