しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。コリント人への手紙 第1 1章23節
週報ショートメッセージ
信じるということは、おまかせすることです。あとに不安が残るなら、お任せしていないのです。おまかせすることができるのも、主が来てくださり、共に...
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キリスト教倫理は福音の上に立っています。福音の上に立たないならば、独り立ちは出来ません。倫理がなくとも、福音は福音です。必ずしも倫理...
第一コリント14章において、パウロは、異言の自粛を求めました。そして、「徳を高め」と言う言葉を、繰り返して用いています。異言を語る人々に生じ...
日常の小さなことに、生かされている幸せを感じます。戸のしまらない、脱衣場のない、壁の落ちた五右衛門風呂にも、しみじみと感謝を覚えます...
私達は、神様の前に、深く自分に絶望します。それは、自分をよう捨てないし、自分を十字架にようつけないからです。自分を捨てるとか、十字架を負うと...
イエス様は、自分への愛と、隣人への愛とを、仲良く共存させよといわれたのでしょうか。そうではないと思います。ほんとうに真剣に、純粋に、暖かく清...
私達の心の底にあるものはなんでしょう。自分自身への愛でしょうか、隣人への愛でしょうか。「心の底に横たわっているもの」それは、人間の本質とも言...
キリストの救いは、人間の真実の回復です。聖霊によるきよめの経験のすすめが、もしも、人間の真実を見失わせるものであるとしたら、私は、反対せざる...
自分には、罪やみにくさなどないかのように、取りつくろって生きることは、偽善であって、信仰ではありません。神の子達は、おのれのみにくい人間性を...
信仰が、恵と祝福に変えられた一瞬を経験した神の子たちは、「押しつけ、揺すりいれ、」と言う言葉を、自分の実感として、理解したはずです。それは、...