しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。コリント人への手紙 第1 1章23節
週報ショートメッセージ
学問も資格もない者が、22年間も牧会をさせていただき、どんなにご迷惑かけたかわかりません。「罪のほか、何もない者が」という思いを、持ち続けて...
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礼拝で、喘息で苦しんだ父の晩年のことを語りましたが、その翌晩から私も、喘息の発作に苦しむようになりました。突然、呼吸が困難になり、高い音を立...
キリストが、「なにをして下さったか」という、過去のことについては、いくぶんか、信じられていると思いますが、今も「なにをして下さるか」という、...
私は、ある日、イエス様から、命を与えられていると、教えられました。この日に与えられた確信によって、私の意識が変えられただけでなく、家庭生活の...
真の謙遜は、罪の自覚から生まれます。罪の自覚の上に立たない謙遜は、偽善か自己満足にすぎません。罪の自覚のない者には、キリストの十字架の意義は...
救われるということの大切さは、すくわれてみて初めて分かることです。たとえ礼拝を守っていても、イエス様との間に距離を置いているならば、救われて...
私たちの罪が、神の御怒りをうけねばならない事を、私たちは、どれだけ真剣に考えた事があるでしょうか。その神の御怒りを身に受けて、主イエスキリス...
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。 〔ガ...
「老い」と「死」は、全ての人に、静かに近づいてきます。それを迎えたくない思いと、納得できない矛盾が感じられるようになりますが、それが「老い」...
キリスト者が羊に例えられているのは、他を攻撃しないからです。彼の平和な属性は、キリストの庇護と支配の下にあってこそ、保たれていくのです。人の...